戦国真田紀行 5

御牧 奈良時代、信濃の国の国府は上田近辺にあった。ここが信濃の国の都であったのだ。 上田市国分のしなの鉄道信濃国分寺駅の近くには、信濃国分寺史跡公園が広がり、資料館も建てられている。 国分寺は、天平十三年(七四一)の聖武天皇の詔により建設され…

戦国真田紀行 4

真田氏のルーツ さて真田氏である。江戸時代に松代藩で編まれた歴史書『滋野世記』によれば、真田氏中興の祖といわれる幸隆は、海野棟綱の嫡男、つまり海野氏の嫡流であるということになっている。 棟綱の嫡男である幸隆が真田郷に住み、真田姓を名乗ったと…

戦国真田紀行 3

真田の郷 真田郷は山国信州に多くあるごく普通の山村である。見上げれば四阿山・烏帽子岳といった二千メートル級の山々が背後に連なり、そんな高い峰の麓にわずかばかりの田畑がひろがっている。 真田郷は現在上田市真田であるが、二〇〇六年の平成の大合併…

戦国真田紀行 2

海野平の戦い 五月というから現代の暦に直せば盛夏である。濃い緑の森に覆われた峠道を、一群の武士団とその家族が先を急いでいた。あるものは馬の背にのり、あるものは徒歩であったが、彼らはいちように疲れた足取りを運んでいた。中には手負いのものもいた…

戦国真田紀行 1

信州小県の中心都市上田から真田を抜け、上州に至る国道一四四号線は、上信国境で鳥居峠を越える。 大正から昭和にかけて一世を風靡した立川文庫の『猿飛佐助』では、佐助の生まれをこの辺りとしている。 すなわち、「処は信州鳥居峠の麓に鷲塚佐太夫と云う…